「共感」はOK!「同情」はNG!?

東日本大震災から数年後の震災関連のテレビ番組を見ていたとき、避難所で被災された女子高校生の方が言っていたひと言が今でも強烈に印象に残っています。

「人から共感はされたい。でも、同情はされたくない…」

この言葉を聞いたとき、正直、意味が分からなかった…

「どちらも同じなんじゃないのだろうか….?」

と疑問に思っていました。

目次

距離感の大切さ

しかし、今になると、この違いがうっすらですが何となく理解できるようになってきました。

ひとことで言うと「距離感」だと感じます。

「共感」は、対人の心理的な距離間隔をとっている。
しかし、「同情」は対人の心理的な距離感が一体化している。

つまり
「共感」は、聴き手の「自分軸」がしっかりある
「同情」は、聴き手が、悩んでいる人の感情に移入してしまっている

ということが言えるのではないでしょうか?

「同情」が嫌がられる理由

「同情」がなぜ嫌がられるかと言うと、
「かわいそう」という憐みの感情で接してこられるので、「上から目線」「バカにされている」と感じてしまう。

また「同情」されると、同情する側のエゴと感じてしまい、結局あなたが良い気分になったと思っているだけで、こっちはちっとも解決していない、と感じてしまいます
(私の経験談です)

つまり、相手を尊重しているようで全然尊重していないんですよね…

そうかといって、同情する側(聴き手側)に悪意はあるのか?
と言ったら、私はそうではないとも思います。

恐らく、純粋にその人の事を心配して接している気持ちはあるのだと思います。

しかし、聴き手側が「同情」することに快感を覚えてしまっている人も中にはいます。
「悲劇のヒロイン」タイプ、「かまってちゃん」タイプの人です。

そういう人って、幼少の頃、寂しい思いをした経験から、かわいそうな発言をして皆から同情を集めて自分の存在意義を確かめる風潮があります。
なので、他人の悩みや、いじめ・幼児虐待のニュース報道を見ただけで、感情がどっぷり移入してしまい、「同情」の心理となってしまうのです。

こう考えると「同情」って「負の感情」なのでは?と思います。
なので、他人に「同情する」「同情してしまう」ということは、裏を返すと、「自分自身が辛くなってしまう」ということが言えるのではないでしょうか?

では、「同情」を防ぐにはどうしたら良いでしょうか?

それは他人との適正な距離間隔を保つことです。

「共感」とは、まず第一に自分を尊重し、なおかつ相手の心をくみ取るスキルだと思います。

「共感」は自分軸、「同情」は他人軸

なかなか難しい、この2つの定義。
いろんな解釈があるかと思います。
あくまで平田の解釈ですので、これが絶対というわけではありません。

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